自分の口から出てきた言葉に納得

昨日は息子の日曜参観でした。
教室には絵や文章など沢山の掲示物。ひとつひとつ心のこもった先生の褒め言葉。
勿論、図工が苦手な息子の作品にも。
親の私から見たら「なんだこれ」と思うような絵だったり
「うわっ、汚っ。雑に字書いたな…」と思うような文章だったりなのに
先生は『良い所』を必ず見つけて褒めてくださる。
いつも通りの参観日。

帰宅してお昼を食べ、即友達が誘いに来てくれて遊びに出かけ、
夕方帰ってきたら、今日は友達の家でピアノを披露したそう。
「みんなにスゲーって言われた」らしい。

夕飯を食べ、一通り宿題を終えた息子。
一連の流れでピアノに向かう。
日曜は私もお休みにさせて頂いているので、こんな日ぐらいは…と息子のピアノをみてあげる。
・・・・・・・
はい、いつもの如く怒ってしまうんですよね。
だって先生は『お母さん』だから、気が抜けまくるんですもん(T_T)
何回注意しても「わかったわかった」と言いながら全然分かってない!
「汚いっ!やりなおし!」
「それでいいと思ってんの?」
私の怒りもMAXに達してきて、とうとう説教開始(笑)

「あんたねぇ!(…以下省略)」

なんで私こんなに怒ってるんだろう?と思いながら息子を想う。
ふと考えてみたら、息子の生活の中で、
ピアノほどクオリティの高さを求められる事ってないんじゃないかな。
図工でも作文でも日々の漢字練習でも、
学校ではどんなに手抜きで取り組んでも先生は「やった事」を必ず褒めてくれる。
結果なにを作ってきてもクオリティが低い。
一方、ピアノはしつこいくらいに出来を注意される。
ミスなく弾くのは勿論、良い音になるように、心を動かす演奏になるように…。
「まぁこんなもんでいいだろう」という本人の妥協は私が許さないから。
世間一般の「上手」レベルになるまでは合格をあげない。

だから、今日友達の前で弾いて「スゲー」って言われたんだよ。
他人にスゲーって思わせるには、なんでもクオリティを高くしなきゃダメなんだよ。
大人になって、憧れの仕事について、何を売るにしてもクオリティの低い物は誰も買ってくれないよ。やればいい、作ればいい、の仕事ではダメなんだよ。
お母さんはね、ピアニストになってほしいとか、生涯の趣味にしてほしいとか思ってないよ(まぁ趣味程度にはとは思ってるけどね)。
そうじゃなくて、

「なんでピアノを弾かせてるかって、クオリティの高い物を完成させる大切さを身に付けて欲しいからなんだよ!!!!!」

ああ、それだよ。
学校の先生はいいとこ見つけてなんでも褒めてくれる。
だからこそ、私は、ピアノの先生は
イイヨイイヨと褒めるばかりじゃなく、「本当にこれで綺麗だと君は思うのかい?」と問いかけ、共に試行錯誤しながら、クオリティの高い物を創り上げる事を子ども達に伝えよう。
そう思った日でした。

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